インドの抱きしめる聖者と言われる、アンマの来日プログラムに参加してきました。
アンマの来日は今回で27回目だそうです。入場料は無料。
来場者のお目当てはアンマのダルシャンで、アンマに抱きしめて貰いたくて毎年1万人以上の人が会場に集まります。
私は思うところがあり、アンマに手紙を渡したくて(英文でお願い事を書いた)、今回初めてアンマ来日プログラムの会場へ向かいました。
アンマとは
アンマとはお母さんの意味で、正式名はシュリー・マーター・アムリターナンダマイー・デーヴィです。
無私の愛と思いやりで全ての人を抱きしめ癒すことから、アンマと呼ばれています。
過去46年間に渡り世界中を来訪し、延べ3千700万人以上の人々を抱きしめ続けることで、抱きしめる聖者と言われています。
アンマはエンブレイシング・ザ・ワールド(ETW)というボランティア団体を運営しており、世界中から募金が集まります。
2011年には東日本大震災で両親を失った子供たちのために「東日本大震災みやぎこども育英募金」へ100万USドル(約8,000万円)の寄付をして下さいました。
また震災の起きた3日後に、ボランティアグループを仙台に送り、食べ物と水の配給を行いました。
エンブレイシング・ザ・ワールド(ETW)の主な活動実績は以下の通り。
・世界中で7,000万ドル(約76億3千万円)の災害救援。(2016年時点)
・360万人の治療を必要とする人々に、無償の医療支援
・51,000人に奨学金を給付
・約99,000人の夫を亡くした女性、生活貧困女性、障害者に生涯にわたる年金を給付
・インドの公衆衛生を改善するため、3,000万個のトイレを建設
・毎年1,000万食をインドの貧しい人々に提供
・6大陸で無料の食事提供活動を継続
・インド全土75の地域で、45,000戸の住宅建設
・100,000人以上の生活困窮女性に職業訓練と開業資金の提供
これだけの募金が世界中から集まるアンマの魅力とはいかなるものか。
私は有名人であろうが、高名な宗教家であろうが、聖者と呼ばれる方でも無条件で信用することはありません。
その人が何を言っているかより、何をしているか、何をしたかで判断します。
宗教家のトップと言われる人の中には、世界中の有名人や知識人と写真を撮って自分の地位をアピールしようとする人もいるようですが、有名人の推薦文や写真があるからって、だから何?って感じ。
大金を払ってダライ・ラマとの写真を撮る宗教家とか、下品以外の何者でもないわ。
お布施を強制したり、勧誘活動をしたり、会報を有料で購読させようとする組織は、まあ偽物でしょうね。
本物なら勧誘活動などしなくても、自然とお金と人が集まって来ます。
サイババ・アシュラムに行った時も思いましたが、本物の聖者のところには自然と募金やボランティアを希望する人々が集まってくるようです。
アンマの来日プログラムでは募金箱は置かれていましたが、積極的に募金を呼びかけることはありませんでした。
渋谷の大きな会場を三日間借り切ってのプログラムでしたが、入場料も無料。
あれだけの会場を三日間借り切ったら、数百万単位の出費なはずですよ。
インドの聖者が来日したという話は今まで何度か聞きましたが、入場無料で行える方は稀有です。
サイババ以来の本物の聖者なのではなかろうか。
アンマのダルシャンへと導かれる?
アンマの事は、半年前まで知りませんでした。
初めてアンマの名前を聞いたのは、インドのトリバンドラムのシヴァナンダヨガ・アシュラムへ行った時です。
アシュラム内で友達になった日本人の男の子が「ここから近くにアンマのアシュラムがあるから、シヴァナンダの後、アンマのアシュラムに行くかどうか迷ってる。」と言っていたのがアンマの名前を聞いた初めて。
その時は「ふ〜ん。そのアシュラムってヨガとかできるの?」と聞いたくらいアンマのことは知りませんでした。
アンマのアシュラムではダルシャンという、アンマの抱擁を受けることができるとのこと。
シヴァナンダヨガアシュラムとアンマのアシュラムは、同じトリバンドラムにあるので、シヴァナンダに来る外国人はアンマのアシュラムに行く人が多いようで、アンマのTシャツを着ている人もいました。
その時は「ハグされるだけのためにわざわざ行くこともないかな」という感じで、全く興味を引かれませんでした。
私は依存心が少ない方で、自分の事は自分で頑張って解決するという考えなので、知らない人にハグしてもらって癒してもらおうというのが抵抗あったんですね。
というか、癒されたいというほどの傷もないし、いろいろあるのは誰でも同じだと思っているので。
その時は「インドにはいろいろな聖者と言われる方がいるんだなぁ。インドって一筋ならではいかない国だわ。本当かもしれないし、嘘かもしれないけど、インドならありだわ。」という程度の認識でした。
そして導かれるように、サイババアシュラムへ行くことになりました。
あの時はそれで正解だったと今でも思います。
サイババアシュラムへ行った帰りに、ご縁があってあるところへ行くことになりましたから。
あの時のご縁が、このブログのタイトルの由縁になっています。
そして半年前、どうしても自分で解決できないことがあり、もうダメかなぁ、私はそういう運命なのかも。諦め時か?切り替えるべきか?でも諦めきれないとうなだれていた頃、アンマが登場します。
インドのアンマアシュラムへ行ったという男の子と会う機会があり、アンマとアシュラムでの話を聞きました。
その子はインドで携帯電話を無くして青ざめていたのですが、アンマに「僕の携帯にグッドラックを。」という短い手紙を渡したら、3週間後にインドで無くした携帯が日本の自宅へ届いたというミラクル体験を話してくれました。
ありえない・・・。インドだよ、インド。
日本で無くした携帯じゃないんだよ。
しかもアシュラム内で無くしたのではなく、インドのどこかで無くした携帯が偶然日本人に拾われて、三人の日本人の手を渡りつつ日本へ戻ってきたって、普通じゃないね。
他に二つのお願い事を書いた手紙を渡したけど、二つとも叶ったみたい。
それでも「人に頼ってお願い事を叶えてもらおうとかって、抵抗あるわぁ。頑張ってもダメだったらそれはそれで受け入れるしかないことなのかもしれないし。」という私に、その子が「いろいろ考えずに、ただ大きな宇宙の力にお願いしてみるつもりでアンマにお願いしてみたら?」と言いました。
その時、気が付いたこと。
私は自分で言うのもなんですが、人に頼らず自分で頑張ることで今までの人生を切り抜けてきました。
運も良かったと思います。
大変な時もありましたが、最終的には自分のやりたいと思ったことはやり遂げてきました。
都会で女性が働きながら一人で暮らしていくことの、大変さも楽しさも味わいました。
その中で自分は自立心は身についたけど、人に上手にお願いするとか、人を頼るとか、助け合うということがとても下手くそなのだと。
何でも自分でコントロールしようとする癖がついているのではないか。
自分一人の時はそれで上手く行くことも、子育てとなったら自分一人でやろうとするとダメなのかもしれません。
一人で子育てしようと思ったら、大変だけどできるかもしれません。
でもそういう姿勢で子育てに臨まない方が、子供のためなのかもしれません。
そしてこれから始めようと思っている仕事の面でも、一人で進めず、みんなに助けて貰ってやることに意義があるのかもしれないと。
これからやろうとしていることは、今までのやり方では無理なのかもしれないと薄々気がついていました。
私は変わらないといけないのかもしれない。
これ以上は自分の努力では無理だと煮詰まっていたのもあり、アンマにお願いしてみたいと思いました。
アンマに手紙を書く時は、英文で手紙を書くこと。
できるだけ短く、端的にお願い事を書くこと。
その子のアドバイスを受けて、アンマに手紙を書くことにしました。
→アンマのダルシャンを受けに行ってきた② アンマに手紙を書く