一度10日間コースに参加してからは、1〜2年に一回、3日間コースに参加しています。
3日間コースで土日に絡めて参加できる日程なら、1日有給を取るだけで参加できるからです。
初日はpm17:00までにセンター入りすればいいので、半休を取れば十分間に合います。
3日間でも自然に囲まれた静かな環境で自分と向き合うと、頭の中が整理されてクリアーになります。
3日間コースの食事例
ヴィパッサナーの食事は完全ベジタリアンです。
ミルクはありますが、卵と肉、魚は出ず、鰹節などの動物性の出汁も使いません。
食事はボランティアの方々によって作られ、ヴュッフェ形式で自分で器によそって戴きます。
マクロビオティックのような薄味のメニューです。
飲み物はポットに熱いほうじ茶・お白湯・紅茶が用意されています。
ミルク・豆乳・蜂蜜・きび砂糖・擦りおろし生姜・レモン果汁も備え付けられています。
・初日
pm18:00に軽い夕食が出ます。
玄米・ダルスープ・飲み物
・2日目
am6:30〜am8:00 朝食と休憩
食パン・玄米・白米・お麩とわかめの味噌汁・プルーン煮・バナナ・りんご
梅干し・バター・いちごジャム・ごま・味噌・オリーブオイルが付け合せとして備え置かれている。
am11:00〜pm13:00 昼食と休憩
玄米・白米・お粥・キャベツと人参と胡瓜の浅漬け・レーズン入り白米のミルク煮
梅干し・ごま・味噌が付け合せとして備え置かれている。
pm17:00〜pm18:00 ティータイムと休憩
ポットに熱いほうじ茶・お白湯・紅茶
豆乳・蜂蜜・きび砂糖・擦りおろし生姜が備え付けられています。
・3日目
am6:30〜am8:00 朝食と休憩
食パン・玄米・白米・お麩と昆布の味噌汁・プルーン煮・りんご・オレンジ
梅干し・バター・いちごジャム・ごま・味噌・オリーブオイルが付け合せとして備え置かれている。
am11:00〜pm13:00 昼食と休憩
玄米と白米をミックスしたお粥・レタスとクミンとオリーブオイルのサラダ・厚揚げとしめじの煮物
梅干し・ごま・味噌・生レモン・オリーブオイルが付け合せとして備え置かれている。
pm17:00〜pm18:00 ティータイムと休憩
ポットに熱いほうじ茶・お白湯・紅茶
・最終日
am6:30〜am8:00 朝食と休憩
食パン・玄米・白米・お麩としめじの味噌汁・プルーン煮・りんご・オレンジ
梅干し・バター・いちごジャム・ごま・オリーブオイル・味噌が付け合せとして備え置かれている。
am11:00〜pm13:00 昼食と休憩
スパイスを使わない和風カレー・キャベツと人参と胡瓜の浅漬け・ひじきと大豆の煮物・黒ごまのお菓子
梅干し・ごま・味噌・オリーブオイルが付け合せとして備え置かれている。
だいたい最初はメニューが少なく、最終日はカレーとデザートが出ます。
出汁をとった昆布が次の食事の味噌汁に入っていたり、前回に余った白米がお粥になっていたり、展開料理になっています。
肉も魚も使わないので、洗剤なしでお皿を洗っても簡単に綺麗に落ちます。
座りっぱなしの生活なので、便秘になりがちです。
オリーブオイルや亜麻仁油を持参すると良いです。
ボランティアのこと
日本ヴィパッサナー瞑想協会のすごいと思うところは、全てがボランティアと寄附で周っていることです。
指導者も、コースマネージャーも、食事係も、全員が無償奉仕です。
コースマネージャーや食事係は、申し込み時に参加者と共に募集されていて、参加者希望だった人が、人が足りないと聞いてボランティアに周ることも多いようです。
みんな自分が今までやってもらった事を、今度は自分がお返しするという気持ちでボランティアに回ります。
コース最終日にボランティアの方々の感想を含めた挨拶があるのですが、皆さん、やり遂げた感がすごいです。
瞑想参加者より、ボランティアの方々の方がキラキラしています。
今回、特に私の中で印象的だった挨拶がありました。
「食事係を担当したのですが、料理も下手だし、最初は何がどこにあるかもわからないし、自分が足手纏いのように思えて落ち込みました。でも目の前のことを一生懸命こなしていく中で、今回のチームのみんなと凄く息が合ってきて、厨房の中で自分たちがまるで一つの生命体のような感覚になりました。
何かが足りないと、誰かが持ってくる。何かをしていると、誰かが手を貸してくれる。助け合いの循環が生まれて、その中にいることがものすごく心地よく感じてきました。
与えれば与えるほど、与えられる循環で、幸せ感が溢れてくるんです。」
ボランティアをする人は全員が初対面、知らない同士です。
人のために無償で何かをしようとしたら、こんな気持ちになることがあるんですね。
コースマネージャーも、最終日はやりきった感がいっぱいで、目がキラキラしていました。
ボランティアの皆さんの心遣いを受けて、私も今度は誰かのためにという気持ちが湧いてきました。
瞑想がちゃんとできた実感がない私でも、こういう気持ちの人たちと会えることが刺激になります。
それにしてもヴィパッサナー瞑想協会の運営が、寄付とボランティアだけで周っているのは驚きです。
金銭的な寄付だけでなく、毎年お米を送って下さる農家の方、野菜を持ってきてくれる方、ベッドを作って下さるDIYが得意な男性、いろいろな方々が無償奉仕で運営を支えています。
毎回コース申し込み者にメールを返信し、参加者の振り分けをするIT担当の方もボランティアです。
寄附の領収書もきっちり出ますし、毎年一円単位の決算書がWeb上で公開されています。
すごいと思うのは、この全てをみんなで周しているということです。
大抵、こういう団体には元締めのような専属の指導者みたいな人がいるものですが、ヴィパッサナーにはそういう人がいないんですよね。
これは驚きですよ。
そういう指導的な立場の元締めがいる組織って、最初は良くてもだんだんと変な方向へ行く場合がほとんどですから。
命令する人が誰もいない、上下関係もない、みんなでセンターが良くなるようにできることをやる。
それで上手く周っているなんて、凄いことだと思います。
ボランティアの方が「与えれば与えるほど、与えられる循環」と言われていましたが、世界中の人がみんなこんな気持ちになったら、お金は必要なくなっちゃうんじゃないかな。
夢見たいなことかもしれないけど、そんな社会がいつか来たらいいなと思います。
ヴィパッサナー瞑想、参加者の印象
こんな風に書くとヴィパッサナー瞑想に来る人は、いい人ばかりのように思えますよね。
いやいや〜、いろんな人がいますよ。
国籍も年齢も職業も収入も、様々な人が集まってきます。
1〜2割は外国人の方です。
バックパッカーや、正規の仕事についていない人が多いです。
傾向としては、ヨガ好き、インド好きのベジタリアンが多いかな。
もしくは、日本在住の外国人。
余談ですがヴィパッサナー瞑想に参加する日本人の、英語できる率すごいですよ。
指導者は全員、ある程度の英語は話せるみたいだし、参加者の中に必ず通訳できる人混じってるし、その他の参加者の中にも英語が話せる人ゴロゴロいます。
留学経験や、海外生活の経験がある人の確率が多いようです。
友達同士で来る人は少なく、だいたいが一人参加です。
稀に夫婦やカップルも居るようですが、センター内では完全に男女別行動なので、一緒に来ても目立たない。
私の印象では、全体の4割がアジアをバックパック旅行した経験のある旅行好き、もしくはバックパッカー引退組。
この人たちは、服装に名残があるのですぐわかります。
アジアン雑貨店で購入したような服が好みのようです。
3割は普通に仕事をしているサラリーマンやOL。
そこそこいい仕事してるんだろうな〜、と思われる面子もけっこう混じってます。
残りの3割が、学生と定年後の65歳以上の方々、専業主婦。
無職の方や、仕事を辞めたばかりの方も結構います。
指導者もいろんな人がいて、最初の10日間コースの女性指導者は元編集者って聞いたけど、エレガントな女性でした。
「集中できないんですけど」と相談に行った人に「感覚に集中するだけです。なぜそれができないんですか?」とイライラした様子で答えたとか。
それじゃー、アドバイスになってないよ、先生、と思うけどね。
休憩後に全員が集まるのが遅いと、イライラした様子を見せていました。
指導者もいろいろです。
私が見た中で一番、印象深いのが、10日間コースの時の男性指導者の方。
30代くらいの物静かな男性でしたが、目が普通の人と違う。
吸い込まれそうな、不思議な目をした男性でした。
相談タイムにおっさんが質問でも相談でもない、自分語りを始めても「この人は何を言おうとしているんだろう。」と話を聞こう、理解しようとしている様子がおかしかったです。
普通はそういうおっさんには「あ〜、こういう人いるよな。」と思って、適当に流すか、話しを切り上げさせるけど、この男性指導者はそんなことカケラも思ってないようでした。
話しを聞いて貰えて気持ちよくなったおっさんが、ますます瞑想と関係のない自分語りを長引かせても、真剣に聞き続けます。
見かねたコースマネージャーが割って入り「そろそろ次の方もいらっしゃいますので…。」と促すまで終わらなかった。
悪意、批判、攻撃性、そういうものを全く持ち合わせていない方のようでした。
瞑想終了後、少しお話ししてみました。
口数が極端に少なくて、目の前にいるだけで悪いことを考えたり、したりするのが恥ずかしくなるような、不思議なオーラをお持ちの方でした。
後にも先にも、あんなオーラの方にお会いしたことはありません。
たまにいる、微妙に迷惑な人たち
いろんな人がいるので、マナーが悪い人もポロポロいますね。
瞑想コース中は一切喋らないし、自然に囲まれた静かな環境なので、物音ひとつがすごく耳障りに感じます。
リュックのジッパーを開ける音さえ、目立って感じるくらいです。
ジッパーを遠慮がちにそろそろ開ける人、何も考えずにビッと開け閉めする人。
夜中にナイロン袋をガサゴソ探って、遠慮なく音を出す人。
ご飯の時間になったら、いの一番に食堂へ突っ走る人。
食後の食器を洗う時、後ろに人が並んで行列ができていても、の〜んびりゆっくり洗う人。
無駄なく動いて、サッと洗って、サッと避ける人。
瞑想ホールの座布団や毛布が、コース中ずっと散らかっている人。
逆に、休憩時間の度に、毛布を綺麗にたたんで席を立つ人。
カーテンをソロソロと静かに締める人。
ザッーと音を立てて乱暴にカーテンを開け閉めする人。
そろそろと音がしないように歩く人。ドタドタ音を立てて無神経に歩く人。
育ちが出るな〜、と思います。
こういうの、男女関係ないですね。
意外と男性の方が、しずしずと静かに歩いていたりします。
一番迷惑だったのが、風邪をひいているのか、喘息持ちなのか知りませんが、ゴホゴホとず〜っと咳をしている女性がいました。
ちょっとゴホゴホいうレベルじゃないですよ。
痰が絡むような咳をずっとしてる。
あれにはマジで参りました。
まず、夜、眠れないんですよ。
夜中じゅうずーっと咳してるんですから。
2〜3時間しか眠れなかったと思います。
瞑想中もずっとゴホゴホ言ってるので、全く集中できません。
ちょっとした咳のレベルじゃないんですから。ゴホゴホ、ゲホゲホ。
咳が止まらず、周りに迷惑をかけそうな人は、参加を控えて頂きたいですね。
寝不足の上、咳がうるさすぎて瞑想になりませんでした。
指導者が「咳が出るなら自室で瞑想してもいいですよ。」と言っても、なぜか瞑想ホールの後ろ席にずっと居る。
周りの人の迷惑を慮れる人なら、途中で自発的に遠慮してくれると思うけど、そうじゃない人もいる。
いろいろな人が来るから、そんな人と当たることもあります。
瞑想が終わってからも、いろんな人がいます。
掃除は任意で強制ではないので、瞑想後、掃除もしないですぐ帰って行く人。
寄附の呼びかけが特にないのをいいことに、一銭も払わず帰っていく人。
世界中のセンターを無料宿代わりに使うバックパッカーの中には、「韓国のセンターは温泉まである。あの国のセンターは食事がまずい。ここはシャワーの数が少ないね。」と厚かましいことこの上ない人も。
逆に、コースマネージャーや食事係全員に、お礼を言って周る人も居ます。
後に来る人のために、多めに寄附をする年配男性も見ました。
バス停までの送迎をかって出る人。
次のコースの準備のため、泊まり込みで掃除、洗濯をする人。
ヴィパッサナーは寄附とボランティアで成り立っているので、まずは最低限、自分のお世話になった分、自分が使った分は寄附したり、掃除したりする。
その上で、できる範囲で寄附したり、お手伝いやボランティアに参加するようにしています。
瞑想を続けて思うこと
瞑想コースに参加して、いつも思うこと。
みんな、真面目に生きてるな…。
楽観的で「まぁ、いっか。」が口癖の自分との、ギャップを感じます。
日本人が真面目なのか、瞑想コースに集まる人が真面目なのか。
それはわかりませんが、生き辛そうな人や真面目な人が多い気がします。
特に女性で多いのが、「身近な人にものすごく怒ってしまう。そんな自分を変えたくて、感情をコントロールできるようになるために瞑想を始めました。」というもの。
これ、何人も聞きました。
キーッとヒステリックに怒ってしまい、そのあと、猛烈に自己嫌悪に陥る女性って多いみたいです。
で、もう怒るまいと反省しても、また怒ってしまう。
怒る自分が悪いと思ってるみたいですね。
生き辛そうなタイプがよく言うのは「小さい頃はすごくシャイで大人しくて、みんなの輪に入れない子でした。」というもの。
今でも自分が浮いた存在のような気がして、人の顔色を伺ってしまう。
みんなに溶け込めない、馴染めない自分が悪いのではないか。
やっぱり自分が悪いと思ってしまうみたいですね。
他人事ながら、こりゃ、疲れるだろうなと思います。
自分が悪いと思いながら生きるのって、いかにも辛そうです。
私から見ると「そんな風に思う必要なくない?」気にすること全然ないよって感じ。
でも本人たちは真剣に自分と向き合って、悪いところを改善しようと努めているんですよね。
すごいなぁ、真面目だなぁと思います。
その一方で、何か変な違和感を感じる。
投げかけといて申し訳ないが、この違和感、まだ自分でも何なのか説明しきれません。
本来の大和民族の性質は、縄文時代の人のようにおおらかで、いい加減で、受け入れ上手で、祭り好きで、陽気なものだと感じます。
私の中にもそういう性質があって、何かの違和感を感じるのかもしれません。
明るい方へ目を向けたり、フォーカスするのが好きなんですね。
じゃあ、なぜ私が瞑想をするかというと、頭の中と心を定期的に整理するためです。
パンチャカルマで身体のデトックスをするように、頭の中を瞑想で整理したくなるんですね。
無理をして大きくバランスを崩す前に、要所要所で自分と向き合って自分の状態を把握する。
状態が把握できてさえいれば、無理をしなければならない時は無理をして、その後戻すところまで戻せばいいし。
自分自身で心と身体の調子を整える術を持つことは、長く人生をやりきる上でのお守りのようなものです。
自分の身体の調子を整えてくれるのは、医者や薬、健康食品やサプリメントではありません。
健康診断の数値は参考にはなるけど、目安に過ぎません。
一番頼りになるのは、自分の皮膚感覚と勘。
皮膚感覚と勘がバリバリ働くようになると、自分に必要なものとそうでないものが、情報に左右されずに振り分けできるようになってきます。
健康食品も、流行りものの目新しい食品やオイルも、あてになるものではありません。
世の中は経済を中心に周ってますから、巷にあふれる情報は、結局は商品を売るための情報です。
皮膚感覚が冴えてくると、そんなものに振り回されずに物を選べるようになります。
宗教に心の拠り所を求める人もいるけれど、今の時代は宗教に頼らなくてもやっていけるはずだと思っています。
昔のように身分制度があって、ひたすら我慢するしかなかった人たちには、宗教という拠り所が必要だったんだろうけどね。
今は選択肢も情報もチャンスもたくさん。
やっと自分次第で、どうとでもなれる時代が来ました。
昔の人が、やりたくてもできなかったことをやらなくちゃ。
宗教を信じんする人を否定する気はないけれど、私自身は判断基準は自分の実体験や人との関わりの中から作っていきたい。
エアロスミスのスティーブン・タイラーが歌詞の中で言った「宗教ならこの手の中にある。」に一票です。
瞑想で自分と向き合うと、自分の中から答えが出てきます。
その答えは今の自分に一番必要で、自分にしかわからない、しっくりくるものです。
瞑想を続けていると、勘が冴えてきて、変な人と関わらなくても済むようになります。
自分を冷静に見つめるという作業は、依存心や、人のせいにする気持ちを減らすように思います。
依存心がなくなってくると、不思議と変な人との関わりが無くなってくるように思います。
私にとって、瞑想は頭と心を整理するため、パンチャカルマは身体の中を整理するためのものです。
→アーユルヴェーダ・パンチャカルマ21日間の体験記 南インドケララ州1
→アーユルヴェーダ・パンチャカルマ21日間の体験記 南インドケララ州2
→アーユルヴェーダ・パンチャカルマ体験記 スリランカ・バーべリンリーフ
→インドの抱きしめる聖者アンマのダルシャンを受けに行ってきた。